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熊本地震後の阿蘇を発信し続けた『東野真和さん』ありがとう!

阿蘇でこの方を見かけたことがある方はいませんか?誰よりも前のめりな手前の男性です。

31230547_1670033803087519_5340643020549128192_n西日本新聞の森井記者よりご提供いただきました

こちらの男性は、朝日新聞南阿蘇駐在の東野真和さんです。ひがしのまさかずさんですよっ。

熊本地震後、2年間、南阿蘇村に住みながら、『今、阿蘇で起きていること』を発信し続けた朝日新聞の編集者です。
実は、2年間の南阿蘇村での駐在を終え、4月30日をもって撤退されることとなりました。南阿蘇村に駐在している新聞記者は、たった2名。そのうちの1名がいなくなってしまいます。

こりゃ〜大変だっ!

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東野さんは、大阪府生まれ。大学卒業後、いくつかの新聞社や報道機関の就職試験を受け朝日新聞に入社されました。今年で勤続30年を迎えるベテラン編集者です。

IMG_5622先日南阿蘇村で開催された復興イベントに参加されていた東野さん。

都内のご自宅には、3人の子どもさんもいるお父さん。とっても気さくで、なんというか『人間らしい』東野さん。今までどんな記者人生を送ってこられたのでしょうか?

「僕は現場が好きでね。入社して最初の3年間は記者をしてたんだけどね、その後、3年間は内勤を命じられて・・・3年内勤して現場に戻れなかったら、インドに行って修行して、カレー屋さんする予定だったよ(笑)」

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え?

いやいや。東野さん。どんだけ。笑
東野さんって、一見真面目そうで、ジョーダンなんて言わないようなイメージなのですが・・・時々『笑いの神様』が降りてくるようで、こちらは大笑いです。

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結局、3年間の内勤後、また現場の仕事に戻ることができたそうです。その後、デスクやバンキシャ、政治、行政、キャップ・・・など、様々な担当で経験を積み、2011年の統一地方選挙を目前にして取材や編集業務に明け暮れていたそうです。

ところが、まさに新業務をスタートさせようとしていた2011年3月11日。東日本大震災が発生。それまで仲間と共に取材したり、編集していたりした『もうすぐ社会に発信されるはずだった情報』は、そのまま世に出ることは無くなってしまったそうです。東野さんは、当時のことをこう振り返ります。

「とにかく東北の現場へ行きたかった・・・約1万人の人口のうち、1,286人が行方不明者や犠牲者になり、町長や役場職員もたくさん亡くなった岩手県大槌町が目にとまったんだけどね。行政も町も、全てが壊滅状態だった町がどんな風に復興していくのかを、見たかった。これは、記者である自分だからこそ見られることで、二度とこんなに貴重な体験はできないだろうと思った」

その後、東野さんは、会社から「現場で情報発信の軸となる拠点を」という指示をもらい、単身、壊滅状態の大槌町に向かったそうです。津波で大きな被害を受けた町に住める場所はあったのでしょうか・・・

「大槌町に残っていた不動産屋さんを訪ねたよ。その頃は物件が無くて、地元の人たちがワンルームで7人が住むような状況で。当然、外から来た自分に貸せるはずがないって断られたよ。一応、その時は名刺だけ渡してきたんだけど・・・」

ワンルームに7人が生活・・・。さらに東野さんは続けます。

「だけど、数日したら不動産屋さんから電話があってね。『間借りでもいいなら』って。すぐに行ったよ。貸してくれるって言ってくれたのは、元大槌町の副町長さんだった」

なるほど・・・。でも、そんな大変な時に、なぜ元副町長さんは外から来た東野さんに部屋を貸してくださったのでしょうか?

「その元副町長さんは、『大槌町はマイナーな場所だから、このままだと忘れられる。だから情報発信のためだったら貸します』って言ってくださったんだ。僕が大槌町でやりたかったことは2つ。1つは『復興を見ること』、もう1つは『1人1人の犠牲者の人たちの生きた証を残すこと』だった。避難所で色々な『想い』を聞いたんだけど・・・それをどうにか残したかった。今も、417人が行方不明のままなんだよ。小さな町であれだけ多くの人が犠牲になってしまった。だから、ほとんどの住民が『遺族』なんだよね。遺族同士が話している。みんなね、今もそうだけど、亡くなった人が発見されると『良かったね!!見つかったね!!』って喜ぶんだ」

犠牲者の方々の行きた証を残す・・・どうやって、その証を残すことにしたのでしょうか?

「僕の考えだけど・・・。僕たちの仕事っていうのは綺麗な仕事じゃないと思う。要は人様のネタで飯を食っている訳で・・・。だけど、それだけじゃ、絶対に良くない。それで・・・震災で犠牲になった人たちの記録を役場にデータとしてあげようと思った。・・・段々と会社からも人員が送られてきて・・・最終的には『生きた証事業』として町の事業になったんだ。今では、600人以上の『生きた証』が存在してる」

IMG_0420数冊、本も出版されています

たった1人の発信者の行動が最終的に行政事業になるってスゴいですね・・・。そこまで東野さんを突き動かしているのは、何なんでしょう?

「原点は、好奇心。その現場を見て、知りたいっていう」

なるほど・・・。だから、月の1/3は南阿蘇村から東北へ足を運ばれていたのですね・・・。本当に頭が下がります。そんな東野さんに阿蘇はどんな風に見えていたのでしょう?

「阿蘇?僕にとっては被災地という暗いイメージがしなかった。本当に良いところで、やっぱり『観光地のような明るい場所』だった。被災地だけど、これだけの素晴らしい素材(環境)が揃っているところなんて、ないよ。地震でゼロになってしまったけど、これから新しくどうつくられていくのか、楽しみだよね」

記者歴、現場歴30年の東野さん。きっとこれからも東北の大槌町と阿蘇を見続けていくことでしょう。

「あ、阿蘇の拠点が無くなるのは残念だけど、サヨナラなんて感じしないよ?だって、またすぐ来るし。通うから。ハハハハハハハハ」

きっと、すぐまた一眼レフを片手に取材する東野さんの姿を見かけることになるのでしょう。
今度は、これまで同様、東京を拠点に『震災復興担当者』として、東北や熊本、阿蘇のことを発信し続けてくださるのですね!

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実は、東野さんのことを語るには、阿蘇に住む数名の方々が欠かせません。今回、その方々にも東野さんのことを伺ってみました。

東野さんが阿蘇を発信する拠点になっていたのは、南阿蘇村に住む写真家の長野良市さんの事務所の3階でした。もともと荷物置き場に使っていた場所で『間借り生活』をしていた東野さん。
そんな東野さんを長野さんは、どんな風に見ていらっしゃったのでしょうか?

IMG_4529地獄温泉清風荘の大女将と一緒に写る長野さん

「彼は家族だよ。家族みたいな存在。この2年間、朝ごはんも夜ご飯も、時には昼ごはんも家族と一緒に食べて来た。まぁ、食べるところもないけんで。肉が出て来ると『今日は肉ですか!』なんて言って喜んでたよ。とにかく積極的な記者だった。ちゃんと取材する記者だった。とても熱意のある人で『記者っぽくない人』だったなぁ。いつの間にか居候。地域のみんなから信頼された記者だったと思うよ。彼が取材して掲載しないってことは、無かったから。きっとまたすぐ来るよ」

そして、長野さんの奥様もお話してくださいました。

「なんかね・・・南阿蘇村のお米が美味しかったんでしょうね。太った、太ったって、最近は朝ご飯も我慢して、お代わりも我慢してたよ。うちの孫の誕生日に絵本を買ってきてくれたこともあったのよ」

東野さんの『その地域に馴染む力』は、本当に素晴らしいものがあると思います。この2年間ですっかり阿蘇の住民になっていたようです。お代わりを我慢・・・何とも可愛らしい方です。
そして、最後に、東野さんの阿蘇でも恋人的な存在・・・西日本新聞南阿蘇支局の森井徹さん。

IMG_5803いつもニコニコされている森井さん

おそらく、森井さんは、今頃、泣いています(笑)

「熊本地震後、南阿蘇村に取材拠点を置いた新聞記者は東野さんと私だけでした。地べたを歩きながらも俯瞰した視点で被災地の課題を書き続ける姿勢からは、体験や教訓を将来につなげようという強い意志を感じました。大先輩ながら、ときに同業のライバルとして、ときに村に住む仲間として(主にこっちですね!笑)として、貴重な体験を共有させて頂きました。また、どこかの現場でご一緒しましょう。ランチと酒席のお相手がいなくなるのは寂しいかぎりです・・・涙。妻と一緒に行ったランチの回数より東野さんとの回数の方が多かったんです・・・涙」

阿蘇西原新聞にとっても、東野さんとの思い出は、いくつもありました。開局してすぐの頃、長野さんの事務所に新聞記者が居候している、という風の噂は聞いたことがありました。
実際にお会いした時、雑談のつもりが一生懸命にメモを取ってくださったことを、つい最近のように思い出します。「取材で東北へ行って来たんだけど、これが美味しくてね」と、イカのおつまみを頂いたこともありました。阿蘇の発信する人たちと一緒に飲もうか!とお誘い頂いた時には、組織という垣根を越えた人間同士のお付き合いをして頂いてとても嬉しかったことを覚えています。

阿蘇を発信する東野さんが現地にいらっしゃらなくなることは、寂しく、どこか転校してしまう友人を送り出すような気持ちですが、また、阿蘇の地で東野さんと情報発信をできる日を楽しみにしています!!

2016年7月から約2年間、本当にありがとうございました!
これからも、阿蘇のことをどうぞ宜しくお願いします。

東野さん!寂しくなったら、いつでも帰って来てください! 待っています。

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