阿蘇西原新聞は阿蘇西原の粋な情報を発信するWEBマガジンです。

阿蘇に暮らしながら発信し続けてきた森井記者、ありがとう。さようなら。

皆さま、この方をご存知でしょうか?

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西日本新聞 南阿蘇支局 森井徹(てつ)さん。

この日のことを今でもよく覚えているのですが、南阿蘇村にある秘湯、地獄温泉 青風荘.(現在は地震による影響で休業中)に一緒にお邪魔した時のことでした。

「あ、僕ちょっと入っていいですか・・・」

と、誰も何も勧めてもいないのに、持参した小袋からタオルを取り出し、すかさず1人だけ湯船に浸かっていました。気持ち良さそうに。

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そんな記者が森井さんです(笑)。阿蘇西原新聞も以前、森井さんに取材をして頂き、西日本新聞に記事が掲載され、その記事が更にネットニュースとなりました。その反響はとても大きく、全国からたくさんの取材依頼や番組への出演依頼を頂くことになりました。阿蘇西原新聞にとっては、とても大切な阿蘇を共に発信する仲間です。

IMG_53572018年3月。森井さんと今年4月まで南阿蘇村に駐在されていた朝日新聞の東野さんと共に。この時からたくさんの思い出ができました。

森井さんは、熊本地震の翌日から現地取材に入り、2016年9月からは自ら希望して南阿蘇村に西日本新聞の拠点を構え、ご家族全員で暮らしながら阿蘇地域の情報発信をしてこられました。そのフットワークの軽さや人当たりの良さには定評があり、いち新聞記者のはずなのにも関わらず、まるで以前から南阿蘇村に住んでいた住民かのように溶け込んでいたように見えました。でもどうして、自ら希望して支局を担当しようと思われたのでしょう?

「なんかですね、こう言ったらアレなんですけど・・・。南阿蘇村に取材で来るたびに思っていたことがあって。被災しているけど山が本当に綺麗で。(地震で)大変な状況ではあるけど、この美しい景色ってホントすごいなぁって思ったんです。ここなら、住みたい!って思ったんです」

まさしく、森井さんの言葉に阿蘇の魅力そのものが表現されていました。阿蘇の魅力は、そこです。どこ?って思われてる方は、ぜひお越しくださいw で、なぜ今回、森井さんの記事を書くことになったかというと・・・。

森井さん、転勤になっちゃいました。号泣

森井さんが南阿蘇村から向かう先は、大都会です。阿蘇の自然豊かな環境から一転、なんと、あの満員電車に揺られる(南阿蘇は電車もまだ復活してないのに!)というTOKYOなのです。正反対な環境です。森井さん、大丈夫かな・・・。

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ということで、森井さんと最後にランチでも行こう!ということになり、色々なお話を伺ってみた訳です。そもそも、どうして新聞記者になろうと思われたのでしょう?

「本当は、最初、カメラマンになりたかったんですよね。僕、高校時代にインスタントカメラで写真撮ってて。当時、HIROMIXって写真家がすごく人気で。で、大学生の時に暗室で焼いてたりして。奇抜なものとかお洒落な感じ風の撮ったりして・・・(苦笑)」

7585957792_IMG_7636阿蘇を写真で発信している『Aso project』さんの取材も一緒に行かせて頂きました。完全に怪しい風景w

ほうほう。お洒落な感じの。。。

「それで就職活動で報道カメラマンを受けたんですが、見事に落ちて。それで僕、三重県出身なんですが、地元の新聞社を受けて入社したんです。20代の最初の頃は迷いがあったんですが、少しずつ『記者』の仕事もいいなぁって思うようになって。その後、当時勤めていた新聞社を退職して、西日本新聞に入社しました」

報道カメラマン落ちちゃったのか・・・。でも、そのおかげで今の森井さんがあるんですよね。ちなみに、大学でもカメラの勉強されたのですか?

「大学は京都にある大学に行ったんですけど、途中タイに交換留学で行きました。2年ぐらい。タイでの留学中に宗教のことを勉強したんですけど、地域の宗教観で色々なことが現地で起きていて。で、その時に『なんでこの人たちはこんな気持ちを持っているんだろう』って疑問を持ちました。それで、タイでの留学終わりで一人旅に出たんです。3〜4ヶ月。中東へ。バングラディッシュ、シリア、イラン、トルコ、ヨルダン・・・。ちょうど、9.11が起きた後の時期でした」

森井さん・・・。タイから中東へ・・・。それで、どうしてそこに行こうと・・・。

「え、野次馬ですよね」

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・・・。でもその気持ちって、実は記者として一番大切な基本的な感情なのではないでしょうか?

「そうなんですかね。でも、初めて熊本地震後に南阿蘇村に来た時、あの旅で感じた感覚と少し似ていたことを覚えていますね」

え?どんなところがですか?

「(人との)距離感が、です。・・・僕はずっと現場を見ていたい。阿蘇では人の喜怒哀楽を見続ける2年間でした。基本は人だと思っていますし、その楽しさや面白さがあるな、と」

森井さんの場合、阿蘇に暮らしたからこそ発見できたことや感じたことがあったと。森井さんの書く記事には、何というかハートがあるんですよね。印象に残っているのが、阿蘇市にある『食事処 隠れ家 父娘庵(おやこあん)』さんの記事。つまり、森井さんの記事、記憶に残るんです。それで、いい記事だから誰が書いてるのかなぁって紙面の記者名を見ると・・・

森井 徹

って表記してあることが何度か。そんな森井さんの記事は、他社の記者からも評価があるのです!それでは、ここでアノ方から森井さんへのラブレターをご紹介しましょう。

◇◇◇

柔和な話しぶりと笑顔の裏に、記者としての熱意を秘めた人でした。
ちょうど2年前、森井さんと初めて会ったのは阿蘇白水郷美術館であったパーティーの場。
当時私は、高森支局で南阿蘇地域を担当しており、熊本地震を受けて西日本新聞が南阿蘇支局を開くと聞いて正直、「どんなゴリゴリの記者が来るのか…」と、戦々恐々としていたのですが、森井さんと会ってみて、色々話のできる人だな、とほっとしたのを覚えています。
南阿蘇に拠点を置いていた朝日新聞の東野真和記者と3人で、しょっちゅう地震の取材で一緒になりました。
森井さんは被災地にも役場にも溶け込み、特に人の心情を描く記事が素敵だなと。
それと同時に、復興の課題点を掘り起こす視点も鋭く、時には役場や行政に対する厳しい追及も。森井さんの姿勢を見ながらら、「負けていられないな」と思わされたものです。
3人で、飲むこともしょっちゅうでした。東野さんが50代、森井さんが30代、私が20代で、年齢も会社もバラバラだったのですが、取材や南阿蘇の復興の話から人生の話まで毎回盛り上がり、気付いたら3人で焼酎瓶が3本空いていたことも!
あと、森井さんの奥さんと娘さんには、記事の写真に登場してもらったこともあり、大変助かりました。

2月に私が熊本市内の本社に、4月には東野さんが東京に、そして今回森井さんも東京に異動になり、当時のメンバーは全員阿蘇を離れます。でも、みんな共通しているのは、本当に南阿蘇が好きなんだという思いです。
先日、送別会で話したときも、「もう少し南阿蘇にいたかった」と森井さんは言っていましたね。でも東京でも必ず活躍されると信じております!

一気に書きながら、思い出して書き切れないことのほうが多いですが、純粋に楽しい時間と、時に心折れそうになる被災地取材での励まし合いと、先輩記者としての刺激と、本当にたくさんの思い出がいっぱいです!
東京は激務になるかと思いますが、お体には気を付けて。
また南阿蘇や熊本に来られるときは、是非飲みましょう!
2年間、本当にお世話になりました!!

熊本日日新聞の記者、堀井利雅さんでした♡

◇◇◇

IMG_2404青いシャツを着ているのが堀井利雅さん。黒いTシャツを着ているのが朝日新聞の東野和真さん。森井さんの異動を聞きつけて集まったのです

そして、朝日新聞の東野真和さんに森井さんのことを尋ねると・・・。

「初めて森井くんに会った時は、向こうから挨拶してくれてね。スッと入る系の人だったよね。僕は当時、西日本新聞のことを知らなくて。略して『西日(にしび)』っていうんだって聞いて、なんか可哀想やなって。僕らは朝日なのに、西日(にしび)・・・。体に悪そうやな、って(笑) 唯一、南阿蘇村に駐在しているのが僕ら2人だったからね。自然体だよね、森井くん。人の中に入って行くのが得意だよね。子どもさんが熱出すと大騒ぎするけど(笑) 阿蘇で取材対象とする人が似ていてね。全くお互い知らずにかぶることが本当によくあったよね。東京に来たら、また飲みましょう!」

東野さんから森井さんのことを伺っていると、突っ込みどころ満載だけど、森井さんへの愛をヒシヒシと感じるワケです♡ きっと、東京へ転勤した森井さんと東野さん、阿蘇で過ごされていたように、また同じ時間をたくさん共有されることでしょう♡

森井さんの人柄は、同じ記者たちからも地域の皆さんからも、本当に愛されていたのがよく分かります。実際、阿蘇西原新聞も取材先で森井さんの話が出ることが多々ありました。皆さん、声を揃えて言われるのが「森井さんは本当に一生懸命聞いてくれて、取材してくれて、そして面白い人でした」という言葉。そんな森井さんは、南阿蘇村で奥様と娘さんと一緒に暮らしていました。

「こんなに家族と過ごしながら仕事ができることは、これが最初で最後だったんじゃないかと思います」

そう、森井さんは言われていましたね。では、奥様はどんな想いで見守っておられたのでしょう? 

◇◇◇

てつへ

2年間の支局生活、本当にあっという間でしたね。熊本地震後に新たにできた支局ということで、手探りでのスタートだったと思います。なにをどう伝えるか?悩んだり、自問自答している姿もたくさん見ました。慣れない田舎暮らし、難解な阿蘇弁、夜毎仕事部屋に現れる虫たち…大丈夫かな?と心配したのも束の間。脅威の人たらしぶりを発揮し、季節が一周する頃にはたくさんの方にかわいがっていただいて、すっかり南阿蘇の虜になりましたね。地域の活動にも積極的に参加し、ランチに飲み会にと、いそいそと出かけていく姿に嫉妬すら覚えたことも…。

てつの人たらしぶりには脱帽です!!!

パパが働く姿を、仕事に向き合う姿勢を、近くで見られたことは、私とすずにとって、とても貴重な体験でした。そして、忙しい合間を縫って、家族の時間もとても大切にしてくれてありがとう。

この2年間は私にとって一生の宝物です。新天地でも家族力を合わせて頑張っていきましょう!

澄子

37900332_1791970780880521_1402031080948629504_n「娘の絵は、西原村のヒマワリ迷路の取材についていった時の絵だそうです!お仕事してるパパの絵を描いてってお願いして描いてもらいました。初めてカメラを書きました」と奥様の澄子さん

◇◇◇

うぅぅ。森井さん、幸せモノ。

「僕、この間、地域の方たち、ご近所の皆さんが送別会してくださったんです。本当に嬉しかったです。この2年、野焼きとか草刈りとか地域のイベントに参加してきました。やっぱり取材するのと一緒にやるのじゃ違うと思うんです。これからの阿蘇の復興を見たかったです。でも、南阿蘇鉄道が再開したら一番に乗りたいし、阿蘇大橋ができあがったら見たいし・・・。本当に、公私ともに充実した2年でした。ありがとうございました」

森井さん、東京に行っても森井さんらしいお仕事をされてください!!奥様が言われているように、『驚異の人たらしぶり』を武器に♡
阿蘇のことを忘れずに、いつでも帰って来てください。涙。

阿蘇の発信、本当にありがとうございました。

あ、南阿蘇村に移住するの、みんな待ってますから!!

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